土佐八升豆の読みもの

江戸時代まで
高知で育てられていた
八升豆は、坂本龍馬も
八升豆を食べちょった?

江戸時代まで
高知で育てられていた
八升豆は、坂本龍馬も
八升豆を食べちょった?

🫛土佐八升豆の読みもの

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高知県の伝統野菜の「八升豆」。一度、栽培が途絶えてしまったこの豆を、仁淀川が流れる日高村を中心に「土佐八升豆」として復活させました。

高知で生まれ育った坂本龍馬も、もしかしたら八升豆を食べていたかもしれない! とその真相を探るため、八升豆研究の第一人者・藤井教授に聞いてみました。

藤井義晴教授
農林水産省農業技術研究所、農業環境技術研究所、四国農業試験場、独立行政法人農業環境技術研究所、東京農工大学の名誉教授などを経て、(現)鯉淵学園農業栄養専門学校 教授。八升豆を広げる活動を精力的に行なっている。

村上由佳
大学を卒業してすぐに岡山から高知県日高村に移住し地域おこし協力隊に着任。協力隊卒業後は、日高村の地域活性を推進しているnossonに所属し活動中。あだ名はむっちゃん。

むっちゃん

こんにちは、藤井先生! 江戸時代に八升豆が育てられていたなら、坂本龍馬も八升豆を食べていたんじゃないかと思ったんです。先生はどう思いますか?

藤井教授

歴史ロマンとしては魅力的で面白いですね。でも結論は“まだ不明”。どちらかと言うと、食べていない可能性が高いかもしれないです。

むっちゃん

えええ〜〜! そうなんですね……。それはなぜですか?

藤井教授

八升豆は上等な豆ではなく、貧乏な人が食べていたと言われているんです。でも、坂本龍馬は武士の家系で比較的裕福だったから、常食していたとは言い切れません。

むっちゃん

なるほど、たしかに。龍馬は下級武士であり豪商の「才谷屋」の分家でもあったので、裕福な家庭でしたよね。

藤井教授

そうなんです。 八升豆はたくさん採れるけど、つるがどんどん伸びて一斉に収穫できないし、支柱も必要。飢饉の時に食べる豆として育てられていたような豆で、裕福な人は食べていなかったかもしれません。

むっちゃん

そうなんですね……。

藤井教授

でも食べていなかったとは言い切れないよ!

むっちゃん

おっ、希望が見えてきた。どうしてそう言えるんですか?

藤井教授

昭和初期の記録で、植物学者の牧野富太郎の弟子が“土佐の日曜市に八升豆が出ていた”と富太郎に八升豆を送ったという記録が残っています。 さらに遡ると、江戸時代の農書にも藜豆(あかざ)、虎豆などの名前が出てきて、煮汁が黒い、煮るのに時間がかかる、澱粉が多い、という具体的な描写がある。煮豆や味噌、納豆にしていたという記録が残っています。つまり、江戸時代に八升豆があり、実際に食べられていたことは確かです。

むっちゃん

おおお! 龍馬は日曜市が開かれている高知城の城下町の近くで生まれています。しかも好奇心旺盛だった龍馬は食べていた可能性もありますね。

藤井教授

そうですね〜。今ある情報だけでは何とも言えません。

むっちゃん

じゃあ日曜市で目にしていた可能性は十分あるかもしれないですね!
龍馬は、『鯖の刺身』が大好きだったらしいので、『鯖の刺身』と土佐八升豆で作ったお味噌の味噌汁定食とかなかったのかな〜(笑)。

むっちゃん

高知の鯖といえば、土佐清水。美味しい鯖のお刺身がありますよね。土佐清水でも土佐八升豆を栽培していたという文献があったと思うので、そんな定食があっても、よさそうですね!想像しただけで、美味しそう(笑)。
夢が広がります〜 ロマンがありますね。
本日はありがとうございました。